ジャカルタから帰国したアクションの後輩から、「懐かしい写真を見つけました」と送られてきたのは、昭和61年4月6日に高田馬場・BIGBOXの9Fに当時あった「ビクターミュージックプラザ」で開催された『仮面ライダーメモリアル』というイベントの時の写真 これは、『仮面ライダー大全集』を出版した講談社と『仮面ライダー』関連のビデオソフトを発売開始した東映ビデオが、「仮面ライダー15周年」を記念したイベントをやりたいという事で、仲良しの東映ビデオ・加藤和夫プロデューサーから依頼され、後に拙著『ライダーキックは痛かった』(このイベントの事も載ってます)でもお世話になるライターの先輩・大沼弘幸さん(その後、東映ビデオの『スーパーヒロイン図鑑』や剄文社『全怪獣怪人』の企画・構成も)と構成をやり、さらに映像チョイス・キャスティング・MCを担当しました
ゲストにはミスター昭和ライダーこと中屋敷哲也(当時・鉄也)さんをはじめ……
シリーズの殺陣師を務めた大野剣友会・岡田勝代表。『仮面ライダーV3』を50mの煙突に上らせた事でもお馴染みの(爆)奥中惇夫監督、昭和ライダーの育ての親ことシリーズ全部を担当した平山亨プロデューサー、そして、生みの親である原作者・石ノ森(当時・石森)章太郎先生という夢のような布陣
第1部の上映会では、第1話「怪奇蜘蛛男」(実際に蜘蛛男を演じた岡田さんは、撮影当時、多忙を極め、完成された映像を見ておらず、この日が初視聴だった)と石森先生が初監督を務めた第84話「危うしライダー イソギンジャガーの地獄罠」をかけて、場内がヒートアップした所に豪華ゲストが続々登場し、「15周年を迎えた『仮面ライダー』を大いに語ろう」という事で、まだ、関係者のコメントがあまり世に出てない頃、他ではなかなか出ない「面白トークショー」になったと記憶してますが、石ノ森先生も平山プロデューサー達も若々しくお元気でしたネェ〜
他ではなかなかやらない出し物として、急遽「撮影風景を再現しませんか」と提案させて頂いて、その場で、岡田さんが殺陣をつけ、奥中監督の「ヨ〜イ、スタ〜ト」の声で、加藤Pがアドリブで「レッツゴー ライダーキック」をかけてくれ、中屋敷さん演ずるライダーにショッカーが襲いかかりヤラレる この写真を送ってくれた関沢君(映画『スーパーヒーロー大戦』で「仮面ライダーシン」、沼津の『昭和レトロ祭り』では「月光仮面」を演ってました)が、「この赤い服の人、司会なのに背落ちしてます しかも高い」……って、38年前のオイラだヨ さらにこの後、平山プロデューサーのムチャ振りで()『1人10人ライダーショー』をやり、イベント終了後、石ノ森先生から、「大野、やっぱりお前は根っからのイベント屋なんだナァ〜」としみじみと言われましたっけ
そうなんデス この時、先生から言われた事を肝に銘じ、いつもイベントに来てくれる皆さんに楽しんで頂けるよう邁進していくのです そうそう、明後日7月6日は第1土曜日なので、本来なら毎月恒例のトークライヴなのですが、当日
は「ウチのガッチャマン」こと森功至さんの「バースデートークショー」がある(当日券も出しますので、井上喜久子ちゃんにも会いに来て)ので、翌7月7日(オッ、七夕じゃん)の日曜日・17時から『マル秘ので街探偵事ム所#302』を、いつもの中野・パスタイムで開催します 「土曜日仕事なので今まで行けなかったけど日曜なら」とか「日曜日、ちょうど出かけるので、夕方ついでに中野に行ってみるか」なんて初参加、久し振りの参加も大歓迎デス 夏から秋への「イベント屋」活動状況報告」もしま〜す