「
あれは30年前〜〜」って、1993年(スーパー戦隊で言うと『五星戦隊ダイレンジャー』の年
)の7月23日(金)、僕は改造人間になりました




……って、何を「藪からスティック」に(By:ルー大柴)と思われる方もいるかと思いますが、古くから応援してくれている人やトークライヴに来てくれている人達には折に触れてお話していますけど、那須高原に行った帰りの東北自動車道で、助手席に乗っていた乗用車が止まっていた工事用車両に時速約120kmで激突し、車は大破しました


その日、那須高原のログハウスを出発した我々は、ドライバーが会議に出席しないといけないので、東京へと急いでいました




東北自動車道の間もなく佐野のインターチェンジという辺りを走行中、車線規制があったので一般車線を走っていたのが、規制が解除されたようだったので追い越し車線に移動した途端、緩やかなカーブの先にデッカイ工事用車両が


ドライバーが急ブレーキを踏むも間に合わず


実際は「キ〜〜ッ、ドン

」という一瞬の出来事だったんですが、長くも感じ、周囲が埃で真っ白な中、脇腹に激しい痛みを感じたものの、出血は左手の中指からチョットだけだったので、「取りあえず生きてる
」と思い、気になるのは隣りのドライバー。「〇〇さん、大丈夫
生きてる
」という僕の問いかけに、「大丈夫
ゴメン
」という返事が返ってきた。するとそこへ、工事作業員達が来て、「車に火が付いたら大変だから、すぐに降りて
」と言われたのですが、助手席側は」、隣りの車線を沢山の自動車がビュンビュン走っていたので、とてもじゃないけど降りられる状態じゃなく、まず、ドライバーを降ろしてから、その後僕が中央分離帯所へ避難。するとそこへ、通報を受けたであろうパトカーが来て、後で聞いた話では、大破した車を見て「こりゃ乗っていた人間は助かってない」と思ったらしく、お巡りさんがしゃがんでいた僕らを見て、「アンタらコレ乗ってた人け
(何せ栃木県警ですから
) 頭打ってねえけ
シートベルトしてたの
いや、こりゃ奇跡だヨォ〜
」と、かなり驚いてましたっけ


で、そこから救急車が呼ばれ……る事はなく、ドライバーはパトカーに乗り、ボクは大破した車を運ぶJAFのトラックの助手席で、佐野のサービスエリアまで


そして、ドライバーが警察の検証を受けている間、とにかく具合が悪いので和室で横になってました


1〜2時間ほどしてドライバーが検証を終え、「O野さん、具合が悪ければ病院行く
」と言われたんだけど、「家族が心配するので、早く東京に帰りましょう」と、小山から新幹線に乗って帰京しました




大分調子の悪い中、やっとの思いで帰宅すると、家族に勧められ近所の病院へ。そこで診察を受けていると容態が急変

すぐに血圧を計ると、通常、上が120前後なのが、たったの40

普通、60を下回ると意識が無くなるそうで、思わず先生が「何で意識があるの
」と、驚いて聞いてきました
そんな事言われてもあるものはしょうがない訳で、その事を告げると、「とにかくウチじゃ無理だから、大きい病院へ行こう
」と救急車を呼ばれ、生まれて初めての救急車体験をしました



そして、練馬にある救急病院に搬送され診察を受けると、「貴方、今日海苔食べましたか
」と聞かれたので、「今朝、おにぎりを食べました」と答えたら、「胃と腸の動きが止まっていて、そのまま消化されてません

」と


「こりゃ、ウチでも手に負えないので、もう1度救急車に乗って下さい
」と、さらに連れて行かれたのが、三鷹の杏林大学病院の救急センター


で、着くや否や(英語で言えば〜as soon as〜)手術台に運ばれ、周辺が慌しく動き出し、正に「やめろ、ショッカー
」状態に

看護師さんに「(着ている)Tシャツ切りますヨォ〜
」って言われて、「お気に入りなので自分で脱ぎますから切らないで下さい
」と言いながら、既に身体の数か所に管が通されている状態の中、Tシャツを脱いでいると、メインで動いている人(後に主治医になる)が、結構苛立ちながら、スタッフに指示を出していて、「随分ヒステリックな人だナァ〜
」なんて思っていたけど、後で先生に聞いたら、それほどに予断を許さない、かなりひっ迫した情況だったそうデス


診断の結果は、内臓(脾臓)破裂、脾臓とは血液を作る臓器なので、それが真っ二つに割れた事で、体内出血が2000cc(ちょうど同じ頃、ビートたけしさんがバイク事故を起こし、道路におびただしい量の血痕があったショッキングなニュース映像がありましたが、アノ血だまりの量が750ccだったので、約その3倍の出血量でした

)、どうりで帰りの新幹線でトイレに入った時、立ち上がった瞬間に、生まれて初めて貧血を起こし、目の前がブラックアウトしたのですが、すぐにしゃがんだら意識が戻りましたけど、もし、横に倒れてたら、そのまま帰らぬ人になっていたそうで


しかし、この時、最新の医療だった杏林大学病院だったので、お腹を切る事もなく、股間の脇から細い管(カテーテル)を通し、血液造影剤を流して、内臓の何処が損傷しているかをチェックし、さらにゼリー状の止血剤を損傷部に流したら、後は自然治癒力に任せるという、現在では割とポピュラーになっているようですが、30年前に、その手術を受けられたのは大変ラッキーだったそうデス



もし、事故直後、栃木県内の病院に担ぎ込まれていたら、もれなく開腹手術を施されていたので、何の後遺症もないまま、こうして30年経っても元気で居られるのでありました、とさ



まあ、普通の人なら2リットルも出血したら、それだけで失血死の可能性もあったそうで、この時ばかりは、つくづく「血の気が多くて良かった

」と思いましたが




で、そのままICU=集中治療室に緊急入院し1ヶ月、一般病棟に移って2ヶ月と、全治3ヶ月余りと言われ、入院生活が始まりましたが、実際は、集中治療室に6日&一般病棟に8日、合計14日=2週間で退院という、医者も驚く快復力で、こりゃ絶対、何処かのタイミングで改造手術受けてるでしょ
あれからちょうど30年、その後も右腕蜂窩織炎や左アキレス腱断裂(今回のブログ写真は、いずれもその時のものデス

)等、部分的な改造手術を受けたり、結構満身創痍な感じはありつつも、コロナを乗り越え、イベントもいろいろ復活する中、何とか元気で働かせて頂いている幸せに感謝の日々で、ちょうど、一昨年の今頃、その後の自分の人生を振り返り、多くのステキな皆さんと出会えた事について、大河ドラマ的に当ブログで写真も込みで書きましたっけ

良い機会なので、前後のシリーズとして、合わせて御覧頂けると幸いデス





