80年代の終わりから90年代の半ばぐらいまではGWというと、新宿NSビルで、レッド師匠・新堀和男さん構成&演出&擬闘による『大ヒーローショー』に参加していました この一連のショーは、今でもスーパー戦隊ファン歴の長いベテランの方達の語り草となっていますが、とにかく毎回メンバーがゴージャスで、自分で演ってても楽しかったデス
そもそもNSビルでは、もっと以前(1982年に『大戦隊ゴーグルファイブショー』があって、それには春田純一さんが出ている……というTVCMを当時観ていた記憶があります)からGWの間、地階で『大ヒーロー展』というイベントを開催していて、その中で祝祭日に合わせて1階の大時計広場で戦隊やアニメのショーをやっていました 元々この企画をプロデュースしたのが、東映撮影所の事業部の方だったので、撮影所の倉庫にあったヒーロー(アップ用の『宇宙刑事ギャバン』とか)や怪獣・怪人の着ぐるみは基より、撮影の小道具、バイク、車(バイオターボとか)といった劇用車まで展示されたり、沢山の台本がリーズナブルに販売されてたり、今では考えられないラインナップで、特に驚いたのが、レインボー造型のブースの中で絵皿を描いてるメカクローンの面を被った人の正体が前澤範社長だった事
そして、イベントの目玉として行なわれた日替わりの『スーパーヒーローショー』もプロデューサーの拘りで「テレビの本物のアクションを」と、当初大野剣友会が担当し、それがレッドアクションクラブ(現・レッドエンターテイメントデリヴァー)に変わった時、たまたま僕が別チームの泊りで『高速戦隊ターボレンジャーショー』をやりに草津国際スキー場に行く移動日で夕方まで身体が空いてたので、「新堀さん達がNSビルでショーをやってる」と、遊びに行ったのデス 1回目のショーの直前だったので、取りあえずステージ全体が見渡せる2階の後ろの部分で観る事に。すると、観葉植物の影からこっそりステージの様子を窺っている「タダモノじゃない」オーラの人が 「水木さん」それは、我らが水木一郎アニキでした
「いやあ、今日はウチの弟子達がショーの前に歌うんで『お忍び』で観に来たんだヨ」 ふとステージを見ると、お弟子さんのユニット・一郎さんちの仲間たち(後のザ☆カインズ&アップルパイの面々)の皆さんが歌って(今思えば、メインで『特警ウインスペクター』を歌っていたのが貴日ワタリさんで、この時が初対面だったナァ〜)いました 「『お忍び』で弟子を見守る」ステキな話だ メチャメチャ派手なジャケット着てたけど
で、ショーが始まる 『仮面ライダーBLACK RX』ショーだ 悪ボスがカネゴン 演説をしている所に登場したのは、ナント、流れ暴魔ヤミマル=流星光こと田中良典さん 学ランではなかったけど圧巻の存在感 そして、RX登場 前田浩君だ 途中ピンチになる 「待て〜っ」現われたのは『高速戦隊ターボレンジャー』レッドターボ=炎力こと佐藤健太君 ナルホド それでヤミマルが レッドターボに変身して(アクションはJACの得居寿君)一騎打ち 他にカラミも石垣広文君や蜂須賀昭二君達……、まあ、なんてゴージャスなメンバーなんでしょう その上、PAが後楽園ゆうえんちと同じ山本音響さんなのも素晴らしい ただ唯一残念だったのが、アクションメンバーやスタッフが超贅沢だったのに、司会だけが素人さんだった事 てか録音部(大泉音映)の新人バイトちゃんにやらせちゃ荷が重いでしょ むしろこりゃ、彼女が可哀そうだ てんで、ショー終了後にカネゴンに「俺、夜7時に上野だから2回目手伝おうか」「あ〜、O野チャン、助かるヨ 早速新堀さんに言うネ」 すると、「オォ〜ッ、O野 頼むな」 かくして2ステージ目に飛び入り 勿論、録音部の女の子もせっかくなので顔を立て「WMC」という事で、「せェ〜〜の〜〜」だけはやってもらいました
で、ショーが始まれば、そこは豪華絢爛 第一線で活躍中のプロの競演 大盛況の内にエンディングとなり、此処では事前にプロデューサーから「ショッカーちゃん、ショーの最後に新堀チャンをステージに呼び込んでメンバーも皆上げてトークショーやってヨ」と言われていたので、舞台袖にいた新堀さんをステージに上げ、前田君や蜂チャン、石垣君達も裏で私服(ジャージ)に早着替えして続々登場 そうなると「闘う特撮MC」の本領発揮 撮影の裏話や名乗りの披露等、「大きなお友達」が歓喜する内容で大いに盛り上がり、後にこのコーナー(爆)がファンの間で口コミで広がり(まだSNSの無い時代)、以来、新宿NSビルのGWの目玉イベントとなり、連日2000人以上(後楽園ゆうえんち・野外劇場のキャパとほぼ同じ)のファンが駆けつけました
僕が関わったNSビルの『大ヒーローショー』には新堀和男アクション監督をはじめ歴代の巨大ロボを演じた日下秀昭さん(後楽園ゆうえんちでも演じられた「バイラムの女性幹部」は秀逸でした)、モチロン、レッドアクションの金田憲明君、前田浩君、大竹浩二君、菊地寿幸君、福沢博文君、さらには新堀さんプロデュースという事で、石垣広文君、蜂須賀祐一君、赤田昌人君、大藤直樹君、岩田(現・田辺)時男君、得居寿君、横山一敏君、竹内康博君、村上利恵(現・高岩利恵)さん、今井喜美子さん、橋本恵子さん、神尾直子さん、田邊智恵さん、中川素州君、中川清人君、武智健二君他多数の「テレビと同じ」JACの面々がアクションを展開 そして2年目もやった『超力戦隊オーレンジャー』ショーの時は、ちょうど撮影とぶつかりショーに来られなかったJACメンバーの代わりに『ゼイラム』や『平成ゴジラシリーズ』『平成ガメラシリーズ』でお馴染みのAACから吉田瑞穂君、大橋明君、佐々木俊宣君達が助っ人に来てくれ、「ゴジラのオーレッド」「ガメラのオーブルー」が実現した事もありました
それに加えて、現在も交友が続いている「スーパー戦隊学園」(爆)の俳優の皆さんも前述のレッドターボ・佐藤健太君を筆頭に、ブルーターボ、朝倉圭矢君、『地球戦隊ファイブマン』ファイブブルー・信達谷圭君、『五星戦隊ダイレンジャー』リュウレンジャー・和田圭市君、テンマレンジャー・羽村英(現・治平武広)君、キリンレンジャー・土屋圭輔君、そして、『鳥人戦隊ジェットマン』からは田中弘太郎さん、若松俊秀さん、成瀬富久さん、岸田里佳ちゃん、内田さゆりちゃんが、『忍者戦隊カクレンジャー』から小川輝晃君、広瀬仁美さん、土田大君、河合秀君、ケイン・コスギ君が、『超力戦隊オーレンジャー』から宍戸勝(現・宍戸マサル)君、正岡邦夫君、合田雅史君、麻生あゆみ(現・穂高あゆみ)ちゃん、珠緒(現・さとう珠緒)ちゃん、『激走戦隊カーレンジャー』から岸祐二君、福田佳弘君、増島愛浩君、本橋由香ちゃん、来栖あつこちゃんと、それぞれが放映中に5人全員揃い、目の前でアクションを披露したので、当時はまだ後楽園ゆうえんちでも「役者公演」というショーがなかった頃でもあるので、そりゃまあ「伝説」になりますわな
……と、それだけじゃありません 当時は並行して『メタルヒーローシリーズ』もやっていたので、我々が担当した『特捜ロボジャンパーソン』(1993年)ショーには、これまたテレビのアクションを担当した竹内君が、「アクション用」の動き易いコスチュームで、「竹内ミラクルワールド」を展開し、ガンギブソンも前田君と超贅沢 1994年の『重甲ビーファイター』ショーには、ブルービート・土屋圭輔君&ジースタッグ・金井茂君が、翌年の『ビーファイターカブトショー』では、中里栄臣君、安達直人君、栗栖ゆきなちゃんが3人揃って登場し、コレも楽しかったデス
そんな「夢の楽園」だった新宿NSビル『大ヒーローショー』も1996年で幕を閉じます。理由は単純にスポンサーの担当さんが変わったから それまでの担当さんの娘さんが特撮や『スーパー戦隊シリーズ』のファンだったので、その担当の方も、「新堀さん、O野さん、ドンドン派手にやって下さい」という事で、年々噂は噂を呼び千客万来でした 観客の中には、監督や番組スタッフをはじめ、みうらじゅんさんやなべやかんチャン、イジリ―岡田さん、既報のみやむーこと宮村優子ちゃんや庵野秀明監督他、特撮を公言しているタレント、関係者も沢山来場されていました
で、担当者が変わった途端、「前担当がやった事はやらん」と、「麗しの〇〇地」といった観光PRイベントに代わってしまいました 担当のつまらないプライドの所為で、連日2000人を軽く超える集客だったのが、1日20人に また、ここ最近は新型コロナウィルスの影響でいろんなイベントが激減し、特に町場のヒーローショーに至っては、昭和の定番・デパートの屋上や平成の定番・スーパーの屋上駐車場&店頭などで観る事はなく、極々稀に住宅展示場でやる程度と、無料で観覧出来るショーとしては、コンプライアンスも含めて()、本当に「遠くなりにけり」ではあります
しか〜し 令和には令和の楽しみ方があ〜る 「ヒーローショーの聖地」である東京ドームシティ・シアターGロッソでは、灼熱の夏、極寒の冬も気にせず快適な空間の中で、華麗なアクションに最新のプロジェクションマッピング技術を駆使した映像とのコラボレーション 久し振りに先日観に行った『ゼンカイジャーVSゴーカイジャー』では胸が熱くなり、グッとくるものがありました
そ・し・て……
ヒーローショー50周年公演 機界戦隊ゼンカイジャーショーシリーズ第3弾「伝説パワー全力全開 聖地を揺るがす大激闘」 本日からデス
ちなみにスーパー1の台本買ったら、どうやら上田さんが使用していたものでこちらも家宝になっています。
ジェットは現場帰りに見に行って、勉強させてもらいました。懐かしいなぁ。
ところでどうして、自分がいる時のあさや(ターボ、ファイブ)にはビール持って来てくれなかったんですかっ!!!