2020年06月23日

ヤマト、復活ダッシュダッシュ

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 子供の頃、『宇宙戦艦ヤマト』が大好きだった少年が、大人になって監督になってしまった手(チョキ)わーい(嬉しい顔)ひらめきひらめき モチロンそこには、人知れず並々ならない努力を続けて来た結果だと思うのですが、その夢を実現した男・羽原信義監督が、3ヶ月振りに再開した『定例食事会』に来てくれました手(パー)わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい) この『定例食事会』は、僕が学生の頃、高校の同級生や石ノ森章太郎ファンクラブの仲間達と集まるようになってから、およそ40年、1回も休まず(台風の時も台風台風台風=爆)毎月開催していたのですが、流石にこの春に巻き起こったコロナ禍による自粛生活から前代未聞の緊急事態宣言発出という事で、初めての開催中止を余儀なくされていましたが、先日、解除され、他県からの移動も可能となったので、めでたく「復活」しました手(グー)わーい(嬉しい顔)いい気分(温泉)いい気分(温泉)いい気分(温泉)いい気分(温泉)いい気分(温泉)
 そして、「新たなる旅立ち」を祝うかのように、参加してくれた羽原監督手(パー)わーい(嬉しい顔)カチンコカチンコカチンコ 彼がこの回に参加してくれるのは、ちょうど2年振りexclamation×2 アメリカから『宇宙戦艦ヤマト』の大ファンの友人・Bryanが来日した時に、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』公開直後の超多忙な時期にも拘わらず、サプライズで会いに来てくれた日以来でしたグッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)
 再会を喜び合い、昔話に花が咲きましたかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい 監督と初めて会ったのは、1988年頃、彼が『マシンロボクロノスの大逆襲』や『超音戦士ボーグマン』の作画監督や演出を担当していた頃なので、もう30年以上の付き合いになります。きっかけは『ポケットモンスター』シリーズでもお馴染み、脚本家・園田英樹さん(後に『ボイスラッガー』でもお世話になりますペンペンペン)の劇団の旗揚げ公演の時、僕が殺陣師を頼まれ、一方、宣伝用イラストを監督が依頼されてて、その芝居の打ち上げで飲んだ時。二次会で興が乗って『1人仮面ライダーショー』をやったら、特撮好きの羽原チャンがメッチャ喜んでくれて、それ以来、楽しくお付き合いさせて頂いてもらってます。僕が監督した『ボイスラッガー』第7話では、「ボイスマンショー」のシーンに山口勝平ファミリーと一緒に親子で出演してもらったりもしました映画映画映画 今回の食事会に来てくれたのは、本当に嬉しかったデス手(グー)わーい(嬉しい顔)ビールビールビールビール 
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 さらに大野剣友会の岡田勝さんプロデュースの芝居、『七人の野武士』で徳川家康を演った時に大久保彦左衛門役だったが為に、ずっと「彦左」ポジション(爆)で盛り立ててくれる舞台俳優の井村倫教君や、声優さんのラジオ番組のディレクターをやっている田中義則君も駆けつけてくれて、新しいお店(此処、メッチャ美味しかったレストランレストラン)で楽しく盛り上がりました手(グー)わーい(嬉しい顔)るんるんるんるん ウィズコロナ、ソーシャルディスタンス、3密回避と、たとえ生活様式は変われども、しっかりと経済活動&「明日への希望」を胸に、取りあえず波動砲でコロナを粉砕したいデス晴れ晴れ晴れ晴れ
posted by ショッカーO野 at 21:24| Comment(0) | 日記
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