「俺が昔〜、ウルトラマンだった頃、祖師ヶ谷大蔵にあった円谷プロの事業部前で一緒に写真を撮った男が居た……」 あれから約40年、新宿の思い出横丁で飲んだ 現在、円谷プロに勤務している古池啓一プロデューサー
「俺が昔〜、ウルトラマンだった頃、祖師ヶ谷大蔵にあった円谷プロの事業部前で一緒に写真を撮った男が居た……」 あれから約40年、新宿の思い出横丁で飲んだ 現在、円谷プロに勤務している古池啓一プロデューサー
彼と出会った時はお互いに十代 同い年という事もあり、すぐに意気投合 以来、本当に沢山、一緒にショーをやりました
お互いに成人式を迎えた日、式には行かず、現在の「サンリオピューロランド」の近くにあったショッピングモール「グリナード永山」で『仮面ライダースーパー1』ショーを一緒にやってました
44年も前の話デス
翌年は、同じく「グリナード永山」で『太陽戦隊サンバルカン』ショー
そして、その翌年の春休みは埼玉県加須市にある「むさしの村」で『大戦隊ゴーグルファイブ』ショーで10日間の公演 初めてチームリーダーとして、未経験の高校生も含む後輩達を纏めなければならないプレッシャーを感じつつも、古池ちゃんが居てくれたおかげで、毎日楽しく合宿のように過ごせ、そのおかげもあってか充実した日々の中で、集中して立ち回りの稽古や構成・演出、更には悪ボスやMCの勉強も出来、メンバーみんなでスキルアップし、代理店さんにも可愛がってもらえて、以降、GW、夏休み、お正月公演と、数年に亘り、ウチの事務所・Mプロジェクトが「むさしの村」で行なわれるヒーローショーを一手に引き受ける事になりました
この時、基本は僕がレッド、古池チャンがピンク役だったんだけど、彼のピンクがこれまた素晴らしく、普段は豪快な性格なのに、面を被ると一切言葉を発する事なく、女性になりきる様子は「お見事」でした 彼のピンク役にまつわるエピソードは、当時僕が連載していた「月刊アニメック」の『特撮マン現場報告』や、拙著『ショッカーO野の熱血ヒーロー日記』でも紹介しています
10日間公演の後半では、後輩にレッドを任せてMCにも挑戦 でもアクションマンが演る司会者なので、デスダークと戦ってボコボコにヤラレてステージから落とされたり この時は古池チャンが悪ボスだったかナァ〜
その後も事務所が変わっても、お互いに手伝い合って『大戦隊ゴーグルファイブ』『科学戦隊ダイナマン』『超電子バイオマン』と「レッド&ピンク」の共演は続きました 当時、彼がリーダーを務めていた、現在の円谷プロのアクションチーム「キャスタッフ」の前身だった清川企画に助っ人に行って「ブルー&ピンク」共演なんてのもありましたっけ
翌年の『電撃戦隊チェンジマン』の放送で、長崎オランダ村でロケがあり、その後、現地で半年間『チェンジマン』ショーをやる事になったのですが、その頃、僕は昨日のブログのようにラポートに就職してしまったので、半年も休みが取れず行くのを断念
で、古池チャンが人身御供となり()、半年もの間、長崎の山奥へ その頃は携帯電話もなかったので、連絡方法は「手紙」 彼から来たハガキには「O野チャン、周り何にもなくて寂しいヨォ〜」と書かれてありましたっけ な〜んて、そんな昔の思い出話や懐かしい人の話が出てくる出てくる
……と、何故、今回こうして「戦友」と再会出来たか それは、この夏の『アニメジャパンフェスティバル2024』の『スーパーヒーロー魂』当日の事でした。スペースカインズと同じ楽屋だったので、貴日ワタリさんや常見弘士さん達といつものようにワイワイやっていたら、廊下を取り掛かった男性がニコニコ笑いながら「お疲れ様デス」と挨拶して通り過ぎました。反射的に「お疲れ様デス」と返したものの、一瞬の出来事だったので、「はて、誰だっけ」となり、貴日さんから「エッ、誰だか分からないで挨拶したの〜」とツッコまれつつも、「隣りの(ウルトラ和楽器隊の)楽屋から出て来たから円谷プロの関係者じゃない」と言われ「あ〜〜〜、思い出した」と、すぐさま楽屋を飛び出し、階下のロビー楽屋迄一気に駆け下り、バースデーソングの社長達と談笑する古池チャンに追いつき、正式に再会
聞けば、今回初見参の真夏竜さんの出演に際してブッキングをしてくれたのが古池チャンだったのだそう 『ウルトラマンレオ』のおかげで、約四半世紀振りの再会を果たす事が出来た、僕にとっては正に「ウルトラの奇跡」でした
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