2018年01月30日

20年の歳月。

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 一昨日、1月28日で、我が師・石ノ森章太郎先生が宇宙に帰られてから20年が経ちました。20年前から、僕は敢えてこういう言い方をし続けて来ましたexclamation×2 20世紀に地球の特に日本の子供達の為に降臨し、沢山のヒーローを生み出して下さり、夢と勇気を与え続け、そして20世紀の内に宇宙に戻って行ったと……。今は他の天体の子供達の為に新たなヒーローを描いているのだろうと……。もっと、ずっと会っていたかったし、一緒に仕事をしたかったのですが、現在は、その偉業を多くの人に伝えていくのが僕の使命だと思っています。
 ショッカーO野の名付け親であり(年末の沼津『昭和レトロまつり』の時には、『人造人間キカイダー』の伴大介さんから、「ショッカーO野も伴大介も、石ノ森先生が名付け親だから、俺達は兄妹だからなexclamation×2」と、優しく行って頂きました)、平成元年5月に僕が主催したイベントでご挨拶に立たれた時に先生は「O野君もボクの作ったキャラクターの1人デスexclamation×2」と、公言して下さいました。その8年8か月後の平成10年1月30日、午前中、健康診断を受けた後、近所の蕎麦屋で“おかめそば”を注文したところで、石森プロOBで石ノ森章太郎ファンクラブ会長でもある青柳誠さんから、いつもの明るいトーンと打って変わった切羽詰まった感じの声で「先生の事、何か石森プロから聞いてないかexclamation&question もしや先生が……」と電話が来て、ちょうどその日の朝、当時の石森プロ常務だった後輩と電話で話していたものの、何も言ってなかったので、「いや、そんな事はないでしょう(第一、絶対信じたくなかったし)exclamation×2」と電話を切ると、今度はライター仲間から、「東映さんが真相を分からず上を下への大騒ぎになっているexclamation×2」と、立て続けの連絡を受け、これは尋常じゃないと後輩に電話すると、「申し訳ありません。実は、一切極秘にしていましたので……」と、真実を聴き、頭が真っ白になり、急いで帰宅してテレビをつけると、極秘のはずなのに、何故かフジテレビがワイドショーで速報を出し、藤岡弘、さんに電話インタビューをしていました。「これは大変な事になるぞexclamation×2」と思っていたら、我が家の電話が鳴り出しました。内容は同じ、ニュースを聞いた友人・知人から真相の確認の電話でした。既に石森プロへの電話は回線パンク状態で全く繋がらないとの事で、僕の自宅の電話も4時間半鳴り続けました。そんな中で電話に出ると、「あぁ、O野さん、藤岡弘、ですexclamation×2」 聴けば、先程、僕も観ていたワイドショーの電話インタビューで、藤岡さんも訃報を知り、大変驚いたそうですが、その電話をそのままオンエアされてしまったそうで、直後から、他局、新聞、雑誌等多くのマスコミから電話取材が殺到し、中には「藤岡さんが記者会見をやってくれ」などという的外れな依頼も来て、仕事にならないとの事で、どう対処したらよいかという相談でした。そこで、再び、後輩の携帯に直接電話をして、対応の指示を求めたところ、急遽、夕方6時から京王プラザホテルで記者会見を開くという情報を聴き、藤岡さんにその旨を伝え、何とか状況は落ち着きました。

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 そして、夕方僕も京王プラザに駆けつけました。すると、そこには共に石森プロで働いていた元マネージャー諸氏も来ていて、奇しくも独立して以来の再会となりました。記者会見終了後、会見を終えた2人の息子さん達と一緒に石ノ森先生の自宅へ行き、ホッと一息ついたところで、闘病生活の最後の様子を聴いたり、先生の思い出話をし合ったのを覚えています。
 あの日から、ちょうど20年の歳月が流れました。毎年開催している『石ノ森章太郎ファンクラブ』の新年集会が、一昨日の28日に行なわれた事もあり、久し振りに命日にお墓参りに行けました。合掌。
posted by ショッカーO野 at 19:54| Comment(0) | 日記